伝えたいなら、国語の授業通りの文章なんて捨てちまえ!

伝えたいなら、国語の授業通りの文章なんて捨てちまえ!

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分です。

「です・ます」調や「だ・である」調を同じ文章で混在させるのは良くない。

 

私もそう思っていた時期がありました。
国語のテストで少しでもいい点数を収めたいと、皆が躍起になって勉強してきたと思います。
でも、教科書通りのしゃべり方をしている人なんて、そんなには居ませんよね?

 

どうも、さっとです。

 

ある種の常識ですが、その常識に縛られていたのでは見えてくるものも見えなくなってしまいます。
今回は国語の授業では減点対象だけど、アフィリエイトでは大いに加点対象となる文章術をお話しします。

 

国語の教師との決別

起承転結や「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」といった、文法を国語のノート狭しと学んだと思います。

 

しかし、その通りのしゃべり方をしている人といえば、海外から留学してきた方くらいのもので、国語教師ですらその通りのしゃべり方はしていません。

 

そういった海外の方って「日本語難しい、教えられたとおりに喋っても伝わらない」と嘆いている事があるんですよ。

 

常体と敬体

「です・ます」や「だ・である」といったものをそれぞれ「敬体」「常体」と呼びます。

 

これは多くの方が国語の授業で学んだと思いますし、作文を書いた際に先生から「君、敬体と常体が混ざってるね。どちらかに統一しなさい」と注意を受けながら文章というものを学んできたと思います。

 

しかしアフィリエイトでターゲット設定した人物…
…知り合いや友人を下敷きに人物像を設定する場合が多いと思います。

 

そのため自身の言葉で説明しようとした際、敬体・常体のどちらか一方に揃えるという
叩き込まれたルールによって少し違和感を感じる人が多くみられます。

 

それは同じ人物に対しての会話ですら、敬体・常体織り交ぜたものであるからです。

  • 常体は自分の意思を力強く伝える事ができるが、文章に我の強い感じが表れる。
  • 一方、敬体は優しい印象で共感を得やすいが、文章がまわりくどくなる

だからこそ場面場面によって、同じ人物に対してでも使い分けたり混ぜたりして会話を行うのです。
その表現手段を音声から文章に変えただけなのにルールばかり気になって、何だか表現が微妙に感じる…

 

そんなルールなんて縛りのためにしたい表現が出来ないのなら、そんなルール捨てちまえ!

 

考え込んで手が止まるくらいならルール無視して、自分の言葉で少しでもターゲット設定したあの人に伝えられる文章にすれば良いじゃないですか?

 

国語の教科書通りの文章を書いたって誰も採点しないし、イチイチ「常体や敬体が混ざってますよ」なんて添削される事はないと思います。

 

教科書通りでは感情が現れない

教科書通りの文章では感情が表現しにくい部分も指摘されています。

 

話ことばでは、話の文脈・構成からある程度の感情をくみ取る事が出来ます。
もちろん声のトーンなど聴覚的な部分も大いにありますが、何をどう喋っても「怒っている」風に聞こえる人も居ますね?
そういった人から正しい感情を読み取るためには、やはり話の文脈・構成から読み取ると思います。

 

このように相手の感情を読み取った上での聞き方をするため、相手の話を理解する事が出来るのです。

 

話に興味がない場合は、ほぼ無感情で聞き流すはずです。

 

話を教科書通りの文章に戻すと、これはあまりに無味無臭の構成となるため、感情が反映されにくい性質があります。

 

ただでさえ、文章で感情を表現するのは難しいにも関わらず…

 

例えば、海外からの留学生の例。
教科書通り話すので、感情が読み取れずに話が入ってこないと思います。
その証拠に「言葉の言い間違え」が気になってくると思います。

 

感情を読み取って、会話している人の些細な言い間違えは、頭の中で「ああ、〇〇を言い間違えたのね」くらいにしか感じず、特に気になるという事はないはずです。

 

感情を文章に乗せる事が出来なければ、読んでもらえない可能性も高くなると言えます。

 

そのためには、感情や気持ちを表しやすい形である、話し言葉を主体とした文章でも構わないと考えます。

 

国語の授業で役に立つ事と言ったら…まあ、誤字脱字くらいはちゃんと直した方が、読みやすくはなりますけどね。

 

ライティングカテゴリの最新記事